漁火-第一章-第三話

-第一章-
第三話

 

 

 ゴンゾウはすでに闘う意欲満々で、鼻息を荒くしている。こうした暴力沙汰は当然初めてではなかったし、なによりゴンゾウの鍛えられた能力が自信の源だった。欠点は正面の敵に気を取られすぎて周りが見えなくなる闘犬のような性格だが、その手綱は若松部長がしっかりと握っている。

 「行きましょう」

 若松部長の声が、闘犬を解き放った。
 正面の広い螺旋階段を駆け上がってくる足音めがけて、ゴンゾウは駆け出していく。こんな猪突猛進タイプのゴンゾウとは逆に、若松は徹底して冷静だった。ゴンゾウの正面突破を許可したのは、エレベーターは論外として、裏口の階段こそ敵の本命と見たからだ。むしろあからさまに突入してくる気配丸出しの正面が囮なのではないか…と。
 若松はゴンゾウの後を追った。吹き抜けのホールへ出ると、5~6人の警官が広い螺旋階段を駆け上がってくるのが見えた。この程度の人数ならば、ゴンゾウが難無く片付けてくれる。若松はそう確信した。
 ゴンゾウはまだ銃を抜かない。背広の内側に着けたホルスターに収めたままだ。ゴンゾウの狙いはあくまで近接戦闘にあった。乱戦に持ち込んでしまえば、敵も迂闊に銃を撃てなくなるからだ。
 まるでボールを抱えたラガーマンのように一直線に突っ込んでくるゴンゾウの迫力に、警官達はたじろいだ。制服を着ているところを見ると、刑事ではないらしい。普段の退屈な警備任務とはまるで違った「戦闘」というものに突然巻き込まれた様子だ。一気に距離を詰めたゴンゾウは相手が銃を撃とうとするよりも先に、太い腕で殴りつけ、次々と一撃で倒していく。手加減するほど甘くはない。頭を殴られた警官は、頭蓋骨が砕けて死んだかもしれない。だが、いかにゴンゾウといえど、完全に敵を打ちのめさなければ、不意を突かれて死ぬことにもなりかねないのだ。
 こうした一切の甘さを排除した戦闘理論は、すべて若松部長に仕込まれたものであった。
 6人の警官達をたちまち片付けたゴンゾウに、ようやく若松が追い付いた。走ってきてさっそく息が上がっている若松に対し、ゴンゾウは激しい格闘を繰り広げたにも関わらずまったく汗もかいていない。

 「正面玄関から脱出するのはさすがに難しそうですね」

 1階まで降りてくると、玄関のガラスドア越しにチラリと灰色をした警備用の装甲車が見えた。

 「地下から逃げましょう」

 「地下?」

 ゴンゾウは怪訝そうな顔をして若松をふりかえった。

 「駐車場があるそうですから」

 いつの間にそんなことを調べたんだろう…? ゴンゾウは上司の抜け目のなさに毎度毎度、驚かされる。
 若松は自分達がこのまま正面玄関に突入したとみせかけるために、背広の裏から缶を取り出して玄関を守っている警官達に投げ付けた。缶からは勢いよく煙幕が吹き上がり、案の定警官達はパニック状態に陥っている。

「ほんの少しの間、慌てていてもらいましょう」

 若松は煙にまぎれてしまった警官達の騒ぐ声を聞いて意地悪く笑った。このスキに、ゴンゾウたちは地下駐車場への階段を駆け降りていく。
 地下へ降りると、ビルの古臭さがいっそう目立つ。26年も前の震災の時からここに立っている建物だ。コンクリートの壁にはあちこち大きなヒビ割れがある。
 緑色の非常口表示や真っ赤な防火用のランプがギラギラと光る廊下を、足音が響き渡る。地下駐車場へはわかりやすく表示がしてある。こんな小さなホテルにしては上出来だ。

 「いたぞ!」

 どこかで叫ぶ声が聞こえる。見つかったらしい。だが今は、出口を目指して走り抜けるだけだ。
 通路の角をいくつか曲がって、重そうな防火ドアを抜けると駐車場に出た。いきなり広い空間に出たのと、薄暗くなったので一瞬感覚が鈍る。目をこらすと、隅に放置された廃車やドラムカンが見え、妙にもの哀しい雰囲気をかもし出している。

「あっちです」

 若松が指差す方向に、地上へと上がるスロープがある。もしシャッターが降りていたとしても、ゴンゾウならば簡単にこじあけられるだろう。
 二人は走り出す。と、停めてあったワゴン車の陰から、ひとりの男が飛び出して前をふさいだ。

「ここは、通さない!」

 スーツ姿。どうやら刑事のようだったが、まだ若い。二十歳くらいだろうか、顔は少し幼く見えた。しかしその表情にははっきりと強い意志が感じられる。体付きもゴンゾウほどではないがガッシリしていて、体育会系の学生あがりといった風だ。
 たったひとりでゴンゾウの前に立ちふさがり、一歩もたじろぐ様子がない。これは、もしかしたら…と、ゴンゾウは勝手に期待をふくらませた。

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